2024年に影響を受けたもう1冊は、山口周さんの『NEW TYPE ニュータイプの時代』です。
この書籍も、これからどんな時代になり、どんな能力が必要になるのか、多角的に考察されていて、とても学びの多い1冊でした。すべて学びでしたが、その中でも、印象に残った点をピックアップします。
まず、山口さんはこれから活躍できる人材要件=NEW TYPE として、以下を定義されています。
これらの能力の中で、特に刺さったものをご紹介します。
まずは、問題解決能力の根幹である、問題の発見について。
問題を解くより、「発見」して提案する:
問題解決の世界では、「問題」を「望ましい状態と現在の状況が一致していない状況」と定義します。「望ましい状態」と「現在の状態」に「差分」があること、これを「問題」として確定するということです。したがって、「望ましい状態」が定義できない場合、そもそも問題を明確に定義することもできないということになります。つまり「ありたい姿」を明確に描くことができない主体には、問題を定義することが出来ない、ということです。「問題の希少化」という「問題」の本質はここにあります。「問題の不足」と聞けば、なんらかの確定的に定義できる「問題」自体が不足しているように思うかもしれませんが、これはそんなに単純な問題ではありません。「問題の不足」という状況は、そもそも私たち自身が「世界はこうあるべきではないか」あるいは「人間はこうあるべきではないか」ということを考える構想力の衰えが招いている、ということなのです。
私たちは「ありたい姿」のことをビジョンと表現しますが、つまり「問題が足りない」というのは「ビジョンが不足している」というのと同じことなのです。これは企業経営にしても国家運営にしても地域コミュニティの存続にしても同様です。取り組むべき姿=アジェンダの明確化は国の、あるいは地域コミュニティの「あるべき姿=ビジョン」が明確になって初めて可能になります。問題を生み出すことが出来ないのは、「あるべき姿=ビジョン」が不足しているということなのです。
これを言い換えればつまり、ニュータイプとは、常に自分なりの「あるべき理想像」を思い描いている人のことだということになります。ニュータイプは、自分なりの理想像を構想することで、目の前の現実とそのような構想とを見比べ、そこにギャップを見出すことで問題を発見していくのです。
やはり『構想力』が重要になることを指摘します。
未来は予測せずに「構想」する:
問題が希少化する世界にあっては、「未来を構想する力」が大きな価値を持つことになります。なぜなら、問題とは「あるべき姿」と「現状」とのギャップであり、「あるべき姿」を思い描くには必ず「未来を構想する力」が必要になるからです。しかし、昨今のビジネス現場においては、「予測=未来はどうなるか」という論点が議論されるばかりで、より重要な「構想=未来をどうしたいか」という論点はないがしろにされがちです。
『構想力』を高めるために、以下山口さんのユニークな視点です。
構想力はリベラルアーツで高まる
「構想力」を高めるためには何が必要なのでしょうか?答えは、「リベラルアーツ」ということになります。サイエンスは「与えられた問題」を解く際に極めて切れ味の鋭い道具となりますが、そもそもの「問題」を生成するのはあまり得意ではありません。なぜなら先述した通り、「問題」を生成するためには、その前提となる「あるべき姿」を構想することが必要なわけですが、この「あるべき姿」は個人の全人格的な世界観・美意識によって規定されるものだからです。人がどのように生きるべきか、社会がどのようにあるべきかを規定するのはサイエンスの仕事ではありません。このような営みにはどうしてもリベラルアーツに根差した人文科学的な思考が必要になります。
常識を相対化して良質な「問い」を生む:リベラルアーツを活用して構想する
構想力を高めるためにはリベラルアーツが必要。サイエンスは与えられた問題を解く際にはきわめて切れ味の鋭い道具となるが、そもそもの「問いを設定する」ことは得意ではない。
リベラルアーツを、社会人として身に着けるべき教養、といった薄っぺらいニュアンスで捉えている人がいますが、これはとてももったいないことです。リベラルアーツのリベラルとは自由という意味であり、アートは技術のことです。したがってリベラルアーツとは「自由になるための技術」ということになります。
目の前の世界において常識として通用して誰もが疑問を感じることなく信じ切っている前提や枠組みを、一度引いた立場で相対化してみる、つまり「問う・疑う」ための技術がリベラルアーツの真髄ということになります。
リベラルアーツを学ぶことで、自分の中に時間軸・空間軸で目の前の常識を相対化するリテラシーを持つことができる。この「常識への違和感」が、誰も気づいていない新しい問題の提起へとつながることになる。
「自分軸」を持つことが大切であるのは、モノ作りでも同様です。
「作りたいもの」が貫通力を持つ:自分がやりたいいことにフォーカスを絞る
まず「世の中にこういうものを打ち出したい」という人間の想いが起点となり、その想いを実現するための道具として用いるのであれば、マーケティングの知識とスキルは極めて強力な武器となるでしょう。つまり「何を打ち出すか=WHAT」は人間が主体となって意思決定し、「どのように打ち出すか=HOW」についてはマーケティングを活用する、という構図です。
グローバル化の進行により、これまで国内のローカル市場でスケールメリットを得ることができなかったニッチビジネスも、「グローバル市場におけるニッチ」というポジショニングをすることで、「スケール」と「フォーカス」を両立させることが可能になりつつある。
そして、他者を巻き込むには、また他者とのかかわり方について。
共感できる「WHAT」と「WHY」を語る:WHAT+WHYを示して他者をエンパワーする
WHATの要件は「共感」
ビジョンに求められる最も重要な要件、それは「共感できる」ということです。目的とその理由を告げられて、自分もその営みに参加したい、自分の能力と時間を実現のために捧げたいと思うこと、つまりフォロワーシップがそこに生まれることで初めてそれと対になるかたちでリーダーシップが発現するのです。
「他者」を自分を変えるきっかけにする:傾聴し、共感する
急激な変化が進むVUCAな世界において、自分の枠組みにインプットされた情報を当てはめて理解するようなオールドタイプの「浅い聞き方」から、枠組みに囚われず、自分の全体と相手の全体を知覚しながら傾聴するニュータイプの「深い聞き方」へとシフトする必要がある。
価値観の多様化が進み、また様々な組織やコミュニティとかかわって生きていかざるを得ない現代においては、「わからない者」を排除し、「わかりあえる者」だけとつるんで生きていくことは、貴重な「学びの機会」を遠ざけてしまうことになる。
ニュータイプは、短兵急に「わかった」つもりになるのではなく、また「わからない」と排除するものでもなく、他者の声に耳を傾け、共感することで、新しい気づきの契機を作り、その契機からの学びを生かして成長し続ける。
でも、そうはいっても、結局は、「実行」してなんぼ、ということも指摘してます。
何が「良い」かは試さないとわからない
私たちが、自分の人生を賢人となって楽しむためには、つまるところ、様々なものを試し、どのような物事が自分のコナトゥスを高めるか、あるいは毀損するかを経験的に知っていくことが必要になります。この「試す」というのは、スピノザの哲学において極めて重要なポイントです。私たち各々のコナトゥスはユニークなものであり、だからこそ私たちは、さまざまなことを試したうえで、それが自分のコナトゥスにどのように作用するかを内省し、自分なりの「良い」「悪い」という判断軸を作っていくことが必要だと、スピノザは説いていたのです。
特に、現在のような予測の難しい時代に合って、これまでポジティブに評価されてきた「綿密に計画を立て、計画の達成にこだわる」というモードは、もはやオールドタイプのそれということになります。一方で、ニュータイプは「とりあえず試してみて、結果を見て修正する」というダイナミックなアプローチをとります。
それは、キャリアや、生き方そのものでも、同様に指摘されています。
キャリア論の世界では「自分が何をやりたいか、何が得意なのか考えろ」とよく言われます。この点はすでに拙著『仕事選びのアートとサイエンス』でも指摘したことですが、私はこんなことを考えるのはほとんど無意味だと思っていて、結局のところ、仕事は実際にやってみないと「面白いか、得意か」はわかりません。「何がしたいのか?」などともじもじ考えていたら、偶然にやってきたはずのチャンスすら逃げてしまうでしょう。行先などは決まっていなくても、「どうもヤバそうだ」と思ったらさっさと逃げる、というのがニュータイプの行動様式になる、ということです。もっと目を凝らし、耳を澄まして周りで何が起きているのかを見極める。
成長の肥料となるのは、「体験の質」と「仕事の環境」であることがわかっている。「体験の質」と「仕事の環境」を改善するためには、自分とフィットした「場」を得るためにポジショニングを図る必要がある。闇雲に努力をするオールドタイプが同じ場所にとどまるのに対して、ニュータイプは自分の場所=ポジショニングを変えることで自分の成長を加速させる。
ラーニングアジリティはもちろん「学習」に関する概念ですが、単に「学習が速い」という要件以上のものを含んでいます。それは何かというと「リセットできる」ということです。経験がその人のパフォーマンスを高めるのは、学習によってパターン認識の能力が高まるからだ、ということは先ほど指摘しました。ラーニングアジリティというのは、単に「速く学習する」ということではなくて、すでに学習して身に着けたパターンを一旦リセットできる、ということなのです。
このような時代に合って、過去の経験と知識に基づいて目の前の世界を理解しようとするオールドタイプは急速に価値を減殺させる一方で、目の前の状況を虚心坦懐に観察し、ラーニングアジリティを発揮して、過去に蓄積した経験と知識をアップデートし続けるニュータイプが大きな価値を創出することになるでしょう。
山口さんの視点はユニークで、この書籍すべてが学びでした。1回目、2回目、3回目と、目を通しましたが、その時その時で新たな気付きを与えてくれる書籍で、多くの学びを得ることができる1冊です。